観賞用から食用に変わった野菜たち、トマト・アスパラガスの意外な歴史

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スーパーの野菜売り場に彩りを添える、 赤いトマトや緑色のアスパラガス。

私たちの毎日の食卓に、欠かせない身近な存在です。

しかし、実はその昔、「食べるなんてとんでもない! 見て楽しむものだ」と、今とは真逆の扱いを受けていたことをご存知でしょうか?

「美味しそう」ではなく「美しい」と愛でられていた野菜には、知られざるドラマがありました。

こちらの記事では、トマトやアスパラガスが辿った意外すぎる過去と、食用へと変わった歴史を紐解いていきます。

200年間「毒」だと思われていたトマトが、食卓の主役になるまで

今や好きな野菜ランキングの常連である「トマト」ですが、その歴史は驚きの連続です。

トマトの故郷は、南米のアンデス高原一帯。16世紀にスペインの航海家によってヨーロッパへ持ち込まれた当初、なんとトマトは「有毒植物」だと信じられていました。

そのため、約200年もの間、食べるためではなく「見て楽しむための植物」として栽培されていたのです。

トマトが日本にやってきたのは江戸時代のことですが、日本でも当初は薬用や観賞用として扱われていました。

では、いつから食べられるようになったのでしょうか? 

実は、明治時代に入ると、ようやく食用のトマトが輸入されました。ところが、当時の品種は酸味や臭みが強すぎて、日本人の口にはなかなか合いませんでした。

大きな転換点となったのは昭和初期のこと。アメリカから輸入された「ポンテローザ」という臭みの少ない品種が登場したことで、ようやく日本でも「美味しい野菜」としての地位が確立されました!

アスパラガスは「フワフワの葉」を愛でる観賞用だった

春の訪れを告げる「アスパラガス」も、江戸時代にオランダ船によって伝わった当初は、食用ではありませんでした。

スラリと伸びた茎から、繊細でフワフワとした葉(実際には茎が変化した「仮葉」)が広がる姿が美しいことから、観賞用の植物として親しまれていたのです。

日本で本格的に食用として栽培が始まったのは、明治時代に入ってからのこと。

欧米への輸出用として「ホワイトアスパラガス」の缶詰加工が主流でしたが、昭和30年代以降、現在主流の「グリーンアスパラガス」が家庭の食卓に広く普及していきました。

なんと、私たちが今の形で食べ始めてから、まだ100年も経っていないのです。

観賞用だった野菜がなぜ「食用」へ変わったのか

かつては、観賞用だったトマトやアスパラガス。

これらが食卓に並ぶようになった背景には、大きく2つの理由があります。

・品種改良の努力:酸味やえぐみを抑え、日本人の口に合うように、先人たちが長い年月をかけて品種改良を重ねてきた。

・食文化の変化:明治時代以降、西洋料理の普及とともに新しい味覚を受け入れる土壌が整い、ようやく「美味しく食べられる野菜」としての地位を確立した。

かつては食べるのが怖かったトマトや、フワフワの葉を愛でる対象だったアスパラガス。今の食卓の姿からは想像もできないほど、意外な歴史を持っていました。

現在、私たちが庭先や公園で「観賞用」として楽しんでいる植物の中にも、未来の食卓では「当たり前の野菜」になるものがあるかもしれません。

植物の持つ可能性を考えると、いつもの風景も少し違って見えてきそうですね!

【参考文献】
農研機構、今が旬の「トマト」の話
https://www.naro.go.jp/publicity_report/season/006534.html

独立行政法人 農畜産業振興機構、今月の野菜「アスパラガス」
https://vegetable.alic.go.jp/yasaijoho/yasai/1005_yasai1.html

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